論文集

古典からみる不眠

 この論述は三旗塾の会報誌『千日会報』に寄稿したものである。
研究会の内容はなかなか外からみることが無いと思うのでここに掲載する。


ひとの三大欲求といえば、食欲、性欲、そして睡眠欲である。面白いことに、どの欲も無くなると生きていけない(性欲に関しては偽りの欲望だという説もあるらしいが…)。しかし過ぎればまたこれも病の源になるのだろう。胃熱による消穀善飢はそんな事を僕らに教えてくれようとしているのかもしれない。

 さて今回は不眠症というお題をいただいた。現代でも睡眠というのは、不思議なことが多いテーマのようだ。内部のシステムをとらえようとする現代医学と違い、古典では現象をとらえることに注力しているように筆者は感じる。自動販売機の中の仕組みは分からないけれども、100円入れたらジュースが出てくることは分かる。では150円入れたらどうなるだろう?1ドルなら?whyよりもhowを優先させているようにも見える。そんな謎を謎のまま扱える懐の広さが中医学もしくは古典にはある。

 さて本題に入ろう。不眠の歴史は古い。初めに不眠のことが書かれるのは『黄帝内経』である。「胃和さざれば、すなわち臥して安ぜず。」とある。胃の不和によって、不眠症が起こると言うものだろう。果たしてどんな状態だろうかと考えてみた。なんてことはない、食べ過ぎで寝苦しくなるアレのことであろう。一度や二度は皆が経験したことあるのではないだろうか?中医学や東洋医学ましてや古典というと堅苦しくなるのであるが、こういう素朴な経験の延長線上にあると思えると心強い。胃の不和というが、胃実や食滞によるものと見ていいだろう。さて、ここで面白いのは、現代中医とのギャップである。不眠症といえば、筆者は陰虚もしくは気陰両虚をイメージする。寝られない=回復できないという連想から、虚に傾くという印象が強いからである。しかし先程の胃実は実証であり、必ずしも不眠が虚に傾くだけではない。それでは陰虚や気陰両虚による不眠は、古典でどのように書かれているのだろうか?黄帝内経から時代を下った清代の『景岳全書』という医書には「邪なくして寝れぬは、必ず営気の不足なり。」とある。この営気(血)ということを考慮してみると、巷で言われる肝の失調=不眠というわけでもないということがわかる。心血虚しかり、脾の失調による気血不和しかり、様々な原因で起こるのだとわかる。実際、臨床でも肝の失調=不眠の型にハマらない不眠は意外にも多いように思う。

 また古典では経絡の流れから睡眠を観察したものもある。「*衛気が陰に入れないと、常に陽に留まる。陽に留まっていると、陽気が充満する。陽気が満ちれば陽蹻脈が偏盛する。また、衛気が陰に入れないので、陰気は虚し、そのために安眠できなくなる**」(霊枢・大惑論)先程の営気の不足と合わせて考えてみれば、不眠症の際には陰虚(営気の虚)だけでなく、陽気の過剰(化火)も不眠の際に起こっていることが読み取れる。筆者の感覚としても軽い寝不足のみでは、陰虚傾向に傾くきらいがある。集中力の低下、注意力の低下、ペンを落としやすくなるなどの道具使用時の不具合などなど。ただし寝不足→眠れない(不眠症)となると話は変わる。深夜になるほど頭が冴える、考え事をしてしまう、ほのかなほてり感、間食や甘い物を異常に欲する食欲など、あきらかに熱証を帯びるように感じる。つまり寝不足だけだと陰分(営気)の不足を生じるが、「眠れない」という状態もしくは慢性的な寝不足にまで発展すると、化火して熱証を帯びると筆者は考えている。食べ過ぎなどの胃の不和で起こる不眠はこの化火の1パターンとして考えることはできないだろうか?

 臨床においてはどうだろう?筆者の経験では、鍼灸で不眠症を施術すると劇的に回復される方と、数ヶ月かけて徐々に回復する方が二極化している。経過の良い方は、陰虚<化火の方が多いように思われる。この時の化火は陰虚からの展開でなくても良い。先程の胃の不和しかり、痰熱しかり、肝鬱からの化火しかりである。清熱をしっかりすることで勝手に陰虚も解消されるような印象をうける。鍼の性質か筆者のクセか、清熱がよくできるのでこのような方は経過がいい。また一方で経過がさほど良くなく徐々に回復される方もいる。傾向としては、身体の線が細い、脈も細く弱い、少し色黒のタイプの方は回復に時間のかかるような印象がある。比較的不安感も強い。このような方は陰虚>化火のタイプだと筆者は考えている。陰虚が強いと清熱することに抵抗があるので、補陰に注力しながら化火が自然と収まるように施術していく。

 また、臨床で気をつけていることがもう一つある。三旗塾でよく言われる熟睡感、起床時の爽快感の他に、筆者は入眠時間を問診で聞くことが多い。同じ熟睡感があったとしても、11時からの8時間睡眠と3時からの8時間睡眠では回復具合は違うのではないだろうか?実際、自分の身体で何度か試してみたが、筆者は11時からの8時間のほうが確実に睡眠の質が良いように感じる。陰の時間に陰を養うのが最も効率がよいとも、言い換えれるのかもしれない。

 さいごに、蔵府弁証はどうなの?と聞かれそうだが、不眠症といえば肝腎の失調というのには疑問がある。不眠を訴える人の一定数はうつ病傾向のある人も少なくなく、このような人は心脾両虚の傾向があるように感じる。そうなると必ずしも不眠症→肝腎と考えるのはどうだろうかと思うわけである。そんな疑問もあるので、あえて臓腑の特定はせずに、今回は書かせていただいた。ただし、いただいたテーマを抽象的に読みすぎたと反省している部分もある。抽象から具体へ。中医学の考えをより具体的に自分の言葉へ言語化できるようこれからも臨床に臨みたい。

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